本間宗究(本間裕)のコラム

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2019.6.18

デリバティブへの感謝

私自身の人生は、「デリバティブ(金融派生商品)」とともにあったものと感じているが、実際に、「1980年代初頭」から「現在」まで、「40年近くも、この問題に悩まされ続けてきた」という状況だったからである。具体的には、「なぜ、デリバティブが大膨張したのか?」を、長年考え続けてきたわけだが、この結果として得られたものは、「お金の謎」や「時間のサイクル」、そして、「心の謎」という「私自身のライフワーク」に対する「答」でもあった。

別の言葉では、「デリバティブ」が存在しなかったら「私自身も、これほどまでに悩まされることがなかったのではないか?」ということだが、実際には、「大膨張したマネー経済」を考える過程で「お金の謎」が解け、また、「デリバティブの大膨張とその崩壊」の過程で「時間のサイクル」と「心の謎」が解明できたようにも感じている。そして、これから必要とされていることは、私自身の「心の仮説」を使いながら、「過去の歴史で、どのような権力が発生し、その結果として、どのような社会が形作られたのか?」を、詳しく検証することだと考えている。

つまり、「自然科学」と「社会科学」の発展に関する「時間的なズレ」を考えながら、「これから、どのような社会が形作られるのか?」を考えることだが、実際には、「金融大混乱」の後に、素晴らしい時代が到来する可能性を考えている。具体的には、「戦争」や「紛争」などが存在しない、「平和で豊かな社会」のことだが、この時に必要な条件としては、やはり、「哲学」や「経済学」などの「社会科学」が、今後、急激な発展を見せることとも言えるようである。

別の言葉では、世界中の人々が、「命の根」を深くすることだが、実際には、「未知の問題」、あるいは、「未解決の問題」などに対して、素直な「懐疑心」を抱くことであり、哲学者の「梅原猛氏」が主張するとおりに、「おかしいものはおかしい」と言う態度を貫くことである。つまり、私自身は、「デリバティブ」が存在したために、既存の「経済理論」に対して「不信感」を抱き、さまざまな研究を継続してきたわけだが、この過程で得られたものが、前述の「いろいろな気付き」だったのである。

そのために、現在では、「デリバティブ」に対して「感謝の念」を抱いているが、一方で、「デリバティブの存在」に気付かず「現在の状況が、今後も継続する」と理解している人々にとっては、大きな「頭痛の種」となる可能性も存在するようだ。