本間宗究(本間裕)のコラム

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2019.8.2

人生の醍醐味

人生の醍醐味は、年齢とともに経験を重ね、新たな境地に到達することにあるものと考えている。特に、「お金の謎」や「心の謎」などのように、「人類史上、誰も解いた人がいない」と言われる「難問」への挑戦については、より一層の「苦しみ」や「喜び」が伴うものと思われるが、私自身の場合には、一つの小さな疑問、すなわち、「アメリカの大学で学んだ為替理論」が実践の役に立たなかったために、「なぜ、このようなことが起こるのか?」を考え始めたことから始まったことを記憶している。

そして、その後は、「人生の山登り」という言葉のように、「山の麓を彷徨いながら、徐々に、高みに達していった」という状況でもあったが、この点に関して思い出される言葉が「古教照心 心照古教」である。つまり、最初は、誰でも、基本の習得から始まるわけだが、このことは、「古い教えが、自分の心を照らしている状況」とも考えられるのである。

別の言葉では、「頭脳で学んだ知識」と「実践の経験から得られる答」とを比較しながら、「天地自然の理」を見つけ出す作業のことだが、この方法を繰り返すことにより、誰でも、人生の山登りにおいて、頂上にまで達することが可能な状況のようにも感じている。つまり、純粋な疑問を持ち、真剣な努力を継続することにより、次々と新たな疑問が浮かび上がってくる状況のことである。

より具体的には、「自分なりの理論や仮説」が出来上がる段階のことだが、このような状況下で、初めて、「心照古教」、すなわち、「自分の理論を用いながら、古い教えや現実の世界を照らしていく作業」が可能になるものと考えている。つまり、「頭脳」と「心」との間に「差」が無くなり、「迷いがなく、対象に向かって行ける状態」のことだが、私自身は、金融界に従事して43年目の現在、「お金の謎」と「時間のサイクル」において、この境地にまで達することができたようにも感じている。

ただし、問題は、「心の謎」であり、「社会科学」が、更なる発展をするためには、この問題を解く必要性があるものと感じている。つまり、「自然科学」においては、「ニュートンが重力を発見して以降、飛躍的な発展を遂げた」という状況が、再度、「経済学」などの「社会科学」で繰り返される可能性である。そして、このことが実現されない場合には、発展した技術が、人々の「心の闇」を増幅させることにより、「人類が、地球に住めないような環境が発生する可能性」を憂慮している次第である。