本間宗究(本間裕)のコラム

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2019.8.23

法と法律

最近、痛切に感じることは、「法」と「法律」との「違い」であり、実際には、この点に関する誤解が、現代社会の「歪み」を生んでいるものと考えている。つまり、本来の「法」は、「仏法」や「法雨」などの言葉からも明らかなように、「天地自然の理」を表していたものと想定されるのである。別の言葉では、「神が創った世の中は、どのような仕組みでできており、また、どのような作用をするのか?」が説明されたものであり、実際のところ、「自然科学」においては、「300年ほど前のニュートン」以降、「天地自然の理」を解明することが発展に繋がった状況でもあったのである。

しかし、一方で、「社会科学」という「人間の意識や行動などを研究する学問」においては、「法律」が、大きな影響力を持っており、また、現在では、「法治国家」が当たり前の状況と理解されている。そして、「法律に反しない限り、どのような行動も許される」という認識が世界的に広まっているようだが、実際には、「非理法権天」という言葉のとおりに、「法律でがんじがらめにされた人々」は、結局のところ、「権力の暴走」を許してしまう状況も想定されるのである。

このように、現在の問題点は、「法」と「法律」とが「一致していない状態」、すなわち、「人類の行動」が「天地自然の理」に合致せず、さまざまな問題や歪みが発生している状況とも言えるようである。具体的には、「地球環境の破壊」や「マイナス金利に伴う金融界の苦境」などのことだが、この時に考えなければいけない点は、「誰が、本当に困るのか?」ということであり、実際には、「人類が、自分の行いにより、しっぺ返しを受けているだけの状況」のようにも感じられるのである。

具体的には、約100年前の「神は死んだ」という「ニーチェの有名な言葉」に代表されるように、「人類は、その後、欲望を全面開放して、『戦争』や『マネーの奪い合い』に奔走してきた状況」だったのである。つまり、「科学技術」については、「戦争」や「マネーゲーム」が、より一層の発展をもたらしたわけだが、一方で、「人々の道徳心や倫理観」を含む、本当の「法」については、まったく無視された状況とも言えるのである。

その結果として、現在では、「トランプ大統領」に代表されるように、「権力の暴走」が「世界の危機」を招いている状況となっているようにも感じているが、この時に注目すべき点は、「権」の次に来るのが、最後の「天」であり、実際には、間もなく、本当の意味での「天地自然の理」が働き始める可能性である。