本間宗究(本間裕)のコラム

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2019.11.10

ユング心理学の「自我」と「自己」

心理学者の「ユング(西暦1875年-1961年)」は、東洋の「曼荼羅」に、大きな刺激を受けて、その後、独自の理論を創り出したと言われている。そのために、「心の研究」に邁進する私自身も、「ユングの著書」に関心を持つ状況に至ったわけだが、この時に驚かされたことは、「ユング」が描いた「自我と自己を表すグラフ」を見た時に、私自身が創り出した「心のグラフ」が想起されたことだった。

具体的には、「円」の周囲、かつ、「意識」の部分に存在する「自我」が、私が想定する「頭脳」に相当し、また、「円」の中心、かつ、「無意識」の部分に位置する「自己」が、私が想定する「心」と「魂」に相当する状況のことである。つまり、「人間」については、「魂(SOUL)」が「肉体」に入った時に、「心」が誕生するものと考えており、現在では、この仮説により、さまざまな現象が説明可能な状況のようにも感じている。

より詳しく申し上げると、ユングが主張する「無意識」の部分に存在する「自己」については、基本的に、「仏教」が教える「阿頼耶識」、あるいは、「般若心経」が教える「神や天が保有する無限の智慧」を理解する必要性があるものと思われるのである。つまり、人間だけが保有し、自由自在に使うことが可能な「心」については、基本的に、「魂」と分けて考えなければいけないものと考えている。

別の言葉では、「時空」を超えて、どこにでも到達可能な「人間の心」については、「仏法」などの「天や神のコントロール」が効かない状況とも想定されるわけだが、一方で、「富に支配された現代人」は、「国法に従っている限りは、どのような行為も許される」という「考え」のもとに、「人類が生存不能な地球環境」を創り出そうとしている状況とも感じられるのである。つまり、現在の「人類」は、「目先の利益」だけに捉われて、「天に唾する行為」、すなわち、「将来の自分が、被害を受けるような行為」に邁進している状況となっている可能性のことである。

そして、結局は、「気付き」や「覚醒」と言われる状態が発生する時まで、この状況が継続するものと思われるが、「人類の歴史」を辿ると、このことにも、大きな意味が隠されているようにも考えられるのである。具体的には、「陰と陽の繰り返しにより、人類が発展する仕組み」のことだが、実際には、「西洋の唯物論」、そして、「東洋の唯心論」が、「800年毎に繰り返す状況」が発生することにより、「人類の精神的な成長」が進展する可能性のことである。