本間宗究(本間裕)のコラム
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2020.5.4
未完の聖書
最近、大きな共感を覚えたことに、「聖書は未完の書である」という「キリスト学者の内村鑑三氏の言葉」がある。つまり、「聖書は、過去における生けるキリストの行動記録である」、また、「我らはキリストの霊を受けて、新たな聖書を作らなければいけない」というものである。そして、この言葉は、仏教の「即身成仏」にも繋がるものと感じられたが、実際には、「目の前の出来事に対して、一心不乱に対応することにより、誰でも仏の境地に到達が可能である」という認識のことである。
別の言葉では、「99%の努力と1%の霊感」という「エジソンの言葉」のとおりに、「全ての人が、日々の仕事に熱中した時に気付きが得られる状況」のことであり、人類の歴史を辿ると、このことが、「絶えざる進化と創造」の要因のようにも感じられるのである。つまり、「天の蔵」には、無限の「神の智慧」が存在し、この智慧にたどり着く方法が、「般若心経」が教えるとおりに、「心を込めて、目の前の仕事に熱中すること」とも言えるのである。
しかし、現代人は、「各人の仕事の総和」とも言える「実体経済」よりも、「欲望の結果」として生み出された「お金」や「マネー経済」の方に、より大きな興味と関心とを抱いたものと思われるのである。つまり、「古い聖書を読んで、新たな自分の聖書を作る」という行為を忘れて、「お金があれば、どのようなことでも可能である」というような「誤った考え」に染まった状況のことである。
そして、この状態が極まったのが、「過去20年ほどの金融のブラックホール」だったものと考えているが、実際には、「日本人の半分以上が、日々の生活を送るために、大都会で、こま鼠のように働かざるを得ない状態」となっているのである。つまり、「お金が神様となり、自分の仕事を軽視しがちになる状況」のことでもあるが、このような状況下で発生したのが、今回の「コロナ・ショック」だったのである。
しかも、今後は、「わずかな金利上昇で、金融システムが、世界的に崩壊する状況」、すなわち、「国民の年金」や「公務員の給料」などが支払い不能になる展開も予想されるわけだが、現在では、この可能性を無視して、目先の「お金」だけに、世界全体が注目している状況とも言えるのである。つまり、「第二次世界大戦末期の神風特攻隊」のような状況のことだが、不思議な点は、「このことを指摘する人が、ほとんど存在しない事実」であり、将来的には、「新たな聖書」の材料になる可能性も考えられるようである。