本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.6.12

真の自由

昨年、軽井沢の別荘地を訪れた時に、二つの矛盾した思いを抱いたが、最初は、当然のことながら、「これほど素晴らしい所に素敵な別荘を持ったら、たいへん幸せだろうな」という感情だった。しかし、その後、もう一つの思いが沸き上がってきたが、それは、「別荘を持ったら、どれほどの時間や労力が必要とされるのか?」という疑問であり、実際には、「現在の私にとって、別荘を持たないほうが、より自由な生活を送ることが可能ではないか?」というものだった。

そして、このことを、「人爵」という「地位や名誉、そして、お金」などに当てはめると、「同じ効果が存在するのではないか?」とも感じたが、実際には、「有名無力、無名有力」という「安岡正篤氏の言葉」のとおりに、「有名になれば、自分の実力を蓄積する時間が無くなるために、無名であることのほうが、より重要だ」という理解のことである。

つまり、「他人からの評価」が、いわゆる「名声」と呼ばれるものであるが、今までの人生を振り返ると、「真実の追求」という「天地自然の理を追い求めること」に、自分の時間を費やすことが、最も幸せな経験だったようにも感じられるのである。別の言葉では、「他人からの干渉」を受けることなく、「自分の知らないこと」に向かって、日々、悩み苦しんでいる時が、「三昧」という言葉のとおりに、最も充実した時間だったようにも感じられるのである。

具体的には、無限に存在する「神の智慧」に対して、真剣に向かい合うことであり、実際には、世界に存在する「数多くの矛盾」に対して、「何故」を繰り返して問い続けることである。より詳しく申し上げると、「天爵」という「神様からの評価」に向かって、「自分の人生を費やすこと」が「真の自由」のようにも思われるが、実際には、「自らの思いに由り行動すること」に関して、「心が、どの方向を指しているのか?」が重要なポイントのようにも感じられるのである。

つまり、「他人」に向かうのか、それとも、「神」に向かうのか、ということだが、やはり、「西洋の時代」においては、「唯物論」という価値観が支配していたために、「お金」が、最終的な目的だったものと考えられるのである。しかし、今後は、「1600年前の西ローマ帝国の崩壊」と同様に、「物質文明に疲れ切った人々が、真の自由を求め始める時代」が始まる状況を想定しているが、注目すべき点は、「デジタル通貨」という「目に見えないマネー」が「デジタル化の発展」に貢献し、今後、「心の解明」が実現される可能性である。