本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.7.9

京から富岳へ

2011年に「世界一のスパコン」となった「京」に続き、2020年には「富岳」が同様の座を占めることとなったが、この点に関しては、たいへん深い感慨を覚えている。つまり、「京」が世界一となった時には、「約8京円もの残高」を持つ「デリバティブ」に関して、「崩壊の前兆ではないか?」とも感じたが、実際には、私自身の「人知」に過ぎず、結果としては、その後、強烈な「金融のメルトダウン」が発生したのである。

より具体的には、「商品」と「通貨」の両面を併せ持つ「デリバティブという金融商品」に関する「私自身の理解」が不足していたために、その後に発生した、「世界各国の中央銀行が結託して、人類史上、未曽有の規模で、国債の買い付けを実施した」という展開を予想することができなかったのである。つまり、「マイナス金利」を発生させてでも、「金利の上昇」を防ぐ金融政策については、私自身の予想を、大きく超えるものだったわけだが、一方では、この9年間を経験したことにより、「お金の謎」や「時間のサイクル」については、私自身が納得できるまでの理解ができた状況のようにも感じている。

別の言葉では、「人生の山登り」において、「富士山(富岳)の頂上」にまで到達したような感想を抱いたわけだが、一方では、この時に、全く違った風景が見えてきたのも間違いのない事実だった。つまり、今度は、「富士山」ではなく、「ヒマラヤ」や「マッターホルン」などの「世界の山々」が、私に迫ってきたわけだが、実際には、「ヤスパースの枢軸時代」という「約3000年前」から発生した「精神文明の繁栄」のことである。

より具体的には、「4000年ほど前に発明された文字」を活用することにより、「人類の知恵」が積み上げられてきた展開のことだが、この時に、同時に発生したのが、「人類の苦悩」という「心の問題」だったものと考えられるのである。そのために、今後の課題としては、「仏教」や「古代ユダヤ教」、そして、「ギリシャ哲学」や「新約聖書」などに関して、基本的な知識を学ぶことのようにも感じている。

つまり、40年ほど前、「経済」や「金融」などを、初歩から勉強したように、今度は、「宗教」や「哲学」などを、基本から研究し始める必要性のことだが、この点に関して、興味深い事実は、「今までの研究方法が、新たな分野にも通用する状況」だった。具体的には、「演繹法や帰納法」により「全体像を把握する態度」、あるいは、「文明法則史学」や「心の座標軸」などを応用することにより、「その時々に、人々は、どのような意識と理解で、人生を送ったのか?」を考えることである。