本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.9.23

神様との対局

将棋の藤井二冠のコメントからは、いろいろなヒントが得られるものと感じているが、今回は「神様との対局」という言葉が気になった次第である。つまり、「将棋の神様が存在するとしたら、あなたは何を望みますか?」という問いに対して、藤井二冠は、「勝利」や「タイトルの獲得」などではなく、「将棋の神様と対局してみたい」と答えたのである。そして、この答えから私自身が得られたヒントは、「すべての人が、毎日、神様と対局しているのではないか?」ということだったが、実際のところ、「投資」のみならず、「人生」において、「誰もが、最善手を求めて、常に苦悩している状況」とも考えられるのである。

つまり、「お金が神様となり、幸福な人生を送るためには、お金が必要である」と考える現代人にとっては、「お金儲け」に関する「最善手」を求めている状況とも思われるが、この時に重要なポイントは、「どれほど将来を見通せるのか?」とも思われるのである。具体的には、今回の「藤井二冠」の将棋のように、「六億手を読んだ時に、四億手を読んだ時とは、全く別の手が見つかった」というような状況のことである。

より詳しく申し上げると、「既存の常識」を捨て去り、「すべての可能性」を考えた時に、「最善手」が見つかる状況のことだが、この点については、「ケプラーからニュートンへ」という言葉のとおりに、「400年ほど前の自然科学が、まさに、このような状況だったのではないか?」とも感じている。つまり、「天動説から地動説への大転換」のことだが、現在は、より大きな転換期、すなわち、「文明法則史学」が教えるとおりに、「西洋の唯物論」から「東洋の唯心論」への大転換に遭遇している状況とも考えられるのである。

別の言葉では、「西洋人の常識」、あるいは、過去数百年間の「人類の一手」が、「自然は征服すべきものである」という理解、そして、「地球環境の悪化」でもあったが、このような状況下で指された「神様の一手」が「コロナ・ショック」のようにも感じられるのである。つまり、「人類が、戦争や金融戦争などで、富の奪い合いをしていると、人類の存在そのものが、許されなくなる可能性」が提示された可能性のことである。

そのために、現在、必要とされることは、「現時点における最善手」を考えることでもあるが、実際には、「4千年前、あるいは、6千年前にまで、人類の歴史を遡りながら、何故、現在の混乱が発生しているのか?」を考えることである。つまり、「カール・ヤスパース」が主張する「第二の枢軸時代」のとおりに、「工業革命で裕福になった人々が、次に何を求めるのか?」という点を理解することとも言えるようである。