本間宗究(本間裕)のコラム

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2022.7.23

お金と宗教、そして、政治家

7月8日に発生した「安倍元首相暗殺事件」については、大きな「驚き」を覚える状況でもあったが、その後の報道を吟味すると、今回の事件は、「東西文明の大転換」に関して、大きな意味を持つ可能性も考えられるようである。つまり、「富を追求する西洋文明」の末期において、実際には、「宗教までもがお金儲けの手段として使われた」という状況でありながら、「国民は、実情を知らされていなかった状態」だったものと感じられるのである。

別の言葉では、「国民自体が、お金の魔力によって、魂を奪われたような状態」のことだが、実際には、「カール・ポランニー」が指摘する「悪魔のひき臼」により、「目の前に存在するマネー」だけを重要視したものと思われるのである。つまり、「精神的な豊さよりも、金銭面での豊かさを望む状態」であり、実際のところ、「昨今の犯罪を見ると、ほとんどが、金銭的な目的が指摘できる状況」となっているのである。

また、この点に関して、大きな役割を持つのが、「選挙」であり、実際には、「ほとんどの政治家が、大衆迎合的な政策しか提示できない状況」となっており、その結果として、「財政赤字の解消」が不可能な状態となっているのである。別の言葉では、「金融システムが崩壊するまで、国家の借金が膨らむ状況」のことでもあるが、この点に関して、今回、最も悩まされた事実は、やはり、「簿外取引でのデリバティブ大膨張」だった。

つまり、ほとんどの国民に知らされない状況で、一部のメガバンクが、「シニョリッジ(通貨発行益)」を享受し、また、「GAFAMなどの米国企業が、デジタル革命の恩恵を受けた」という展開のことである。別の言葉では、西洋文明が指向する「富の時代」の最終段階において、「未曽有の規模でマネーの大膨張が発生し、借金漬けの経済成長により、地球環境までもが脅かされる状態」のことである。

そのために、今後の注意点としては、「どれほどの反動が訪れるのか?」を熟慮することでもあるが、今回の襲撃事件については、「このことを考えるキッカケの出来事」だったようにも思われるのである。つまり、「東洋学」が教える「数奇な事件」に関して、実情としては、「人智が及ばず、将来的に、事件の意味が理解される出来事」とも理解できるのである。より具体的には、東洋文明が指向する「唯心論の時代」が始まる可能性でもあるが、この点については、「西暦400年から1200年に、東洋でどのような社会が形成されたのか?」、あるいは、「11次元にまで発展した自然科学が、今後、社会科学に対して、どのような影響を与えるのか?」が参考になるものと感じている。