本間宗究(本間裕)のコラム

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2024.3.4

大谷選手の両界曼荼羅

仏教の熱心な信者であった「宮沢賢治」の出身地である「花巻」で学び、「人生の両界曼荼羅」を駆使しながら、世界の有名人となった「大谷翔平選手」については、「東洋の時代」の始まりを告げる出来事の一つのようにも感じている。別の言葉では、「西洋の唯物的な社会」において、「東洋の唯心的な人生」を歩んでいる姿については、「お金よりも大切なものの存在」を、世界に知らしめている状況のようにも思われるのである。

具体的には、「現実世界」を象徴する「金剛界曼荼羅」と「時間と空間との関係性」を意味する「胎蔵曼陀羅」を、自分の人生に応用しながら、日々の努力を続けている姿には、世界中の人々が尊敬の念を抱き始めている状況のようにも感じられるのである。そして、私自身としては、このような「人生観」、あるいは、東洋的な「意識や行動」が、「21世紀の社会」において基本的な人生観になるものと感じている。

より詳しく申し上げると、今から2500年ほど前に、インドから始まった「仏教」が、その後、「日本」に渡来し、「西暦800年前後の弘法大師」、そして、「西暦1200年前後の法然」などにより、独自の発展を続けてきたことも見て取れるのである。別の言葉では、「縄文時代から継続してきた日本的精神」、すなわち、「頻繁に見舞われる地震や水害などの天変地異」などで醸成された「天や神に対する信仰心」が、仏教と融合しながら、日本独自の宗教観を産み出した状況のことである。

また、このような時代に誕生した大谷選手が、「目に見えるもの」の象徴ともいえる「お金(マネー)」を稼ぐと同時に、「目に見えないもの」である「自分の夢」を尊重しながら、「日々の努力」により達成しようとする姿については、「お金のためなら、どのようなことでも行う人々にとって、信じられない状況」のようにも思われるのである。つまり、「お金は結果であり、日々の実践こそが、本当の宝物である」というような大谷選手の態度に、世界中の人々が感銘を受けているものと感じられるのである。

そして、このような態度こそが、これから想定される「金融大混乱の時代」に、大きな力を発揮するものと考えているが、実際には、「災害地に殺到する数多くのボランティアの存在」であり、また、「お金儲けよりも、自分の好きなことに熱中する数多くの日本人の存在」である。つまり、「信用の消滅」がもたらす「マネー縮小」の時代に力を発揮するのは、結局のところ、「自分の夢」を追い求める人々であり、しかも、この時に役立つのが、「社会科学の次元上昇」をもたらす「人生の両界曼荼羅」のようにも感じられるのである。