本間宗究(本間裕)のコラム
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2024.6.4
論語と算盤
間もなく、日本における「新札の発行」が始まるが、この点に関して、今回、気になったことは、「論語と算盤」という有名な「渋沢栄一の言葉」に対する違和感だった。つまり、今から30年ほど前、私自身が熱心に東洋学を研究した頃は、「利は義の和なり」や「利によりて行えば恨み多し」などの論語の言葉にたいして、全面的な共感を覚えていたものの、その後の「マネーの大膨張」や「人々の精神的な荒廃」を目にすると、現時点では、私自身の気が付かなかった事実が存在する状況のようにも感じられるのである。
より詳しく申し上げると、「明治維新」に対する認識の変化のことでもあるが、具体的には、「廃仏毀釈が、なぜ、実施されたのか?」ということであり、また、「なぜ、日本全体が、その後の大日本帝国憲法により軍国主義へと向かっていったのか?」ということである。つまり、「明治維新からの約77年間」は、「日本人が軍事的な成功と失敗を経験した時期」であり、また、その後の「約78年間」が、「経済的、あるいは、金融面での成功と失敗を経験した時期」とも理解できるのである。
別の言葉では、「過去150年余りの期間、日本人は、歴史的にもまれに見るほどの変革期に遭遇した状況」とも思われるために、現時点では、「この経験が、今後、どのように生かされるのか?」が気になっているのである。また、この点に関して、今回の「論語と算盤」に象徴される「儒教」が、「今後、どのように理解されるのか?」についても、たいへん興味深く見守っている状況とも言えるのである。
具体的には、「弘法大師が教える思想」が復活する可能性であり、実際には、「儒教や老荘思想よりも仏教が重要視されるべきであり、また、仏教の中でも、真言密教の重要性が理解されるべきである」という認識のことである。別の言葉では、「11次元にまで進化した自然科学」と「3次元にとどまっている社会科学」との関係性に関して、今後、「弘法大師の真言密教」が、大きな役割を果たす可能性のことである。
つまり、今後は、「心のルネサンス」とでも呼ぶべき状況となり、「心の持つ可能性」が、深く解明され始める展開を想定しているが、この時に主導的な役割を果たすのが、「明治維新以降、さまざまな成功や失敗を体験した日本人」のようにも感じられるのである。そして、このキッカケとなるのが、今回の「渋沢栄一の一万円札」とも思われるが、実際には、「論語と算盤」という言葉に関して、「どのような『天からのメッセージ』が隠されているのか?」を、日本人の一人ひとりが考え始める状況のことである。