本間宗究(本間裕)のコラム

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2024.7.22

人生の砂時計

「アウシュビッツの大虐殺」を経験した「ユダヤ人」が、「なぜ、今回、ガザの大虐殺の実行者となっているのか?」について、大きな疑問を抱いていたが、先日、「NHKの心の時代」という番組で、「ピーター・フランクルの人生の砂時計」の説明を聞いたことにより、ある程度、納得が得られたような気がした。ただし、私自身は、決して、「ガザの大虐殺」を容認する者ではなく、単に、「ユダヤ人の心境を理解しようとする態度」に終始している状況とも言えるのである。

そして、この点に関して、今回、気付かされたことは、「砂時計の砂」に関する「西洋人と東洋人との認識の違い」であり、実際には、「ピーター・フランクル」を始めとした西洋人が、「落ちた砂」が「今までに費やされた日々」、そして、「落ちていない砂」が「残りの人生」を表しているという理解や認識のことである。つまり、「輪廻転生」を信用しない西洋人にとっては、「残りの日々が少なくなることに恐怖心を覚える状況」とも思われるが、一方で、「仏教を信じる東洋人」にとっては、「落ちた砂の一粒」が「日々の経験により得られた神様の智慧」を表している状況とも理解されているのである。

より具体的には、「成仏」という言葉のとおりに、「どのような人も、日々の努力の積み重ねにより、誰もがお釈迦様のような精神レベルにまで到達可能である」という認識のもとに、「日々の経験が、神様から頂いた宝物である」と理解されている状況のことである。別の言葉では、「弘法大師の十住心」が示すように、「人類の精神レベル上昇」が、「キリスト教が教えるアセンション」を意味する可能性のことである。

このように、「東洋人の人生観」としては、「過去の失敗を繰り返さず、人類の霊的な次元上昇に努めること」が挙げられるが、一方で、「西洋人の人生観」としては、「西洋文明の富の時代」を象徴するように、「人生の目的が、富を増やし、社会的な地位を上昇すること」のようにも想定されるのである。

つまり、「1600年前の西ローマ帝国の末期」と同様に、「マネーの膨張」が継続している間は、「人生の目的」に疑いを抱いていなかったものの、「財政赤字やインフレ」に悩まされるとともに、いろいろな「苦悩」が噴出し始めた状況とも想定されるのである。そして、このことが、「800年ごとの東西文明交代の原動力」であり、今後は、「世界的なハイパーインフレの発生」、すなわち、「貨幣価値の劇的な減少」により、世界中の人々が、「なぜ」という疑問を抱くことから、実際の転換が始まるものと考えている。