ストックマーケットレポート・サンプル 2016.4.30号

* サンプルとして、冒頭の約1ページ分を掲載しております。

1:ファンダメンタル

今回の「熊本の大震災」につきましては、いろいろな点で驚かされましたが、ご存じのとおりに、当初は、「震度7の激震」だったものの「震源地が浅いために、被害は少ない」という報道がなされたわけです。しかし、その後に起きたことは、「4月16日の地震が本震であり、4月14日は前震だった」という訂正でもありました。また、「震源地の移動」や「群発する地震」などに関して、「過去の経験がないために、今後の予測が難しい」というコメントや、あるいは、「中央構造線」という、あまり聞き慣れない言葉までもが出ている状況でもあるわけです。

つまり、今回の「大地震」では、「人智の限界」が、はっきり露呈されたようにも感じていますが、同時に、私自身としましても、「これほどの大地震が発生するとは思わなかった」というのが「正直な感想」でもあるわけです。具体的には、「4月の暦」が「壬辰」であり、確かに、「辰は震に繋がる」という観点から、「地震が発生する可能性」は存在したわけです。しかし、今までの推移からは、すでに、「天災」から「人災」への移行期に入った可能性を考慮していましたので、今回の「大地震」につきましては、「この点を、再度、考え直す必要性」があるようにも感じているわけです。

より具体的には、「なぜ、今回の大地震が発生したのか?」ということですが、この点につきましては、以前に「ペンクラブの会長」をされた「故芹沢光治良先生」の言葉が参考になるようにも考えています。つまり、「文学とは、物言わぬ神の意志に言葉を与えることである」というものですが、ちなみに、「芹沢先生」は、ご自身もノーベル文学賞候補になられ、また、「大江健三郎氏」をノーベル文学賞に推薦されたことで有名な方です。そして、この言葉を、「投資」や「ビジネス」に応用しますと、「日々の出来事を見ることにより、神の意志、あるいは、天地自然の理を読み取る」ということだと考えている次第です。

つまり、今回の大地震につきましては、「三度目の正直」、あるいは、「仏の顔も三度まで」という言葉が、私自身の感想として浮かんで来たわけですが、具体的には、「1995年に発生した神戸の大震災」、「2011年の3・11大震災」、そして、「今回の熊本大地震」のことになります。別の言葉では、「東洋学」におきまして、「天災」は、基本的に、「天からの警告」であると考えられていますが、実際に、今回の「熊本の大震災」を見て感じたことは、「三度目の警告」であるとともに、「最後の警告」だった可能性になります。

また、このような「三度の警告、あるいは、忠告」につきましては、「芹沢光治良先生の三女」である「芹沢文子先生」が、生前に、よく仰っていたことであり、私自身の印象にも、強く残っていますが、具体的には、次のような話になります。

「ある信仰深い人が災害に遭った時に、『私には神様が付いているから大丈夫だ』と考え、周りの人の警告や忠告を聞かなかった。具体的には、近所の人や消防士、そして、警察官が、盛んに避難を勧めたが、結果としては、忠告を無視し、命を落として、天国に行った。そして、天国で、神様に、『なぜ、信仰深い私を救ってくれなかったのですか?』と尋ねたが、その時の神様の答えは、『私は、三度も救いに行った』ということだった。」