ストックマーケットレポート・サンプル 2016.6.30号

* サンプルとして、冒頭の約1ページ分を掲載しております。

1:ファンダメンタル

「舛添都知事の辞任問題」は、ご存知のとおりに、すでに結論が出ましたが、私自身としましては、今回の事件にも、たいへん大きな意味が隠されているようにも感じている次第です。そして、その理由としましては、「セコイ(SEKOI)」という言葉が、海外で報道されたからですが、実際には、「津波(TSUNAMI)」や「勿体ない(MOTTAINAI)」などと同様に、「日本語が英語になった一例」として、将来的に語り継がれる可能性もあるようです。しかも、この点につきましては、「戦争中の日本人」が、「中国」で「法匪(ほうひ)」と呼ばれた状況と重なって見えるわけです。(注:法匪とは、法律を詭弁的に解釈して、自分に都合のいい結果を得ようとする者を指す呼称)

別の言葉では、「不適切だが、違法ではない」、そのために、「自分の利益になることなら何でもやる」という行為は、「世界的にも、かつ歴史的にも、決して賛同される態度ではない」ものと思われるわけです。つまり、「人間的に、決して、行ってはいけないことである」という事実を、世界的に知らしめたようですがが、実際には、多くの分野で、このような「価値観」を持つ人々、すなわち、「市場経済の価値観に染まりすぎた人々」が存在するようにも思われるわけです。

その結果として、今後は、「どのような人が尊敬されるのか?」に関しても、大きな変化が起こるものと考えていますが、今回は、この点を紹介させていただきながら、「これから、どのような時代や社会が訪れるのか?」を、より深く考えてみたいと思います。つまり、「人々の集合意識が、世の中を形作る」という観点からは、この点が、決して、避けて通ることができない問題であると同時に、「この点が理解できたら、未来予測も易しくなるのではないか?」とも感じているわけです。そして、同時に、「なぜ、西洋の時代から東洋の時代に移行するのか?」という「大転換のメカニズム」も、より深く理解できるようにも思われるわけです。

別の言葉では、「心の座標軸」を考えながら、これから予想される「東洋の時代」、あるいは、「共同体的な社会」につきまして、より深く考えることですが、この点につきましては、「東洋学の大家」と呼ばれた「安岡正篤先生」の著書が、たいへん参考になるようです。つまり、現在では、先生の著書が、「静かなブーム」となっており、このことも、世の中の変化を、如実に表しているようですが、実際には、多くの人が、「心の底で、新たな価値観を求め始めている状況」とも言えるようであり、この点に関しまして、私自身には、次の言葉が、たいへん印象に残っているわけです。

具体的には、「論語」にある「四十、五十にして聞こゆるなきは、畏るるに足らざるのみ」という言葉ですが、この点につきまして、安岡先生は、次のように語られているわけです。

『世間的にはさして地位や名声がなくても、いわゆる名士・有名人でなくても、自らその環境の中で名が聞こえてこない、おるやおらぬのやらさっぱりわからない、「お前おったのか」というようなことではつまらない。少しできた人間ならば、世間はともかく、少なくともその仲間環境の中には必ず聞こえるものだ。「四十、五十にして聞こゆるなきは、畏るるに足らざるのみ」というのはそういう意味だと解釈しても、私は少しも差し支えないと思う。 名を天下に馳せるなどということは、あえて自ら欲すべきことではない。場合によっては親戚・縁者だけの間でもよい。「いい叔父さんだよ」と言われるだけでよろしい。 大小は問わず、どこかでやっぱり聞こえなければ、四十、五十になった値打ちはない。いい年をして、世間に出ても人から嫌がられ、家に帰っても女房・子供から嫌がられる、そんなことでは人間ダメである。』(出典:安岡正篤「一日一言」)