ストックマーケットレポート・サンプル 2017.12.20号
* サンプルとして、冒頭の約1ページ分を掲載しております。
1:ファンダメンタル
今回は、「11月29日」に行われました「中曽日銀副総裁の講演」を紹介させていただきます。具体的には、「マクロプルーデンス政策の新たなフロンティア~銀行の低収益性と銀行間競争への対応~」という題名ですが、内容としましては、「日本の金融機関が、どれほど厳しい状況にあるのか?」を、歴史をひも解いて説明しながら、「個人の銀行口座」に対して、「管理料」を課す可能性も示唆しているわけです。また、「金融システムのリスク」につきましても、今までとは違い、「半分程度のホンネ」が述べられているようにも感じた次第です。
そのために、今回も、重要な部分を抜粋しながら、より詳しい説明を付け加えさせていただきますが、興味深い点は、前回のレポートで紹介しました「黒田日銀総裁」と同様に、随所に、「危機意識」が垣間見られたことでした。つまり、表面上は、「地方金融機関の苦境」を強調していますが、実際には、「日銀」を含めた「日本の金融システム」に関する問題点を述べているようにも感じられたわけです。そして、今回も、最初に、「20年ほど前の状況」から説明が始まっています。
今から 20 年前の 「1997 年」は、「日本の金融危機」がクライマックスを迎えていました。同年 11 月には、僅かひと月のうちに、大手を含む4先もの金融機関が連続破綻し、後に「魔の 11 月(Dark November)」と呼ばれるようになりました。日本の金融システムが「メルトダウン」にも近付いた時期であったと鮮明に記憶しています。当時は、現在と異なり、金融システム安定のための包括的なセーフティネットが未整備であったことから、 いわゆる「特融」の発動を含め、日本銀行の金融システム安定化政策に過大な負担がかかりました。「金融システムの崩壊」は、かろうじて回避しましたが、約2000億円にのぼる特融が回収不能になりました。(出典:中曽日銀副総裁)
また、「大手を含む4先」につきましては、「三洋証券」、「北海道拓殖銀行」、「山一證券」、そして、「徳陽シティ銀行」と「注意書き」でコメントされていますが、確かに、この時は、「世界的な信用収縮」が始まった時期でもありました。しかし、今までに詳しく申し上げてきましたように、「金融システムのメルトダウン(炉心溶融)」が始まったのは、「2008年前後のGFC(グローバル金融危機)」からであり、この点につきましては、「信用収縮」と「信用崩壊」に対する理解が不十分な状況のようにも感じられました。
「金融システムの安定性」を維持するには、「個別金融機関の抱えるリスクを把握し経営の改善を促す」といった「ミクロプルーデンス」の視点だけでは必ずしも十分ではありません。「実体経済」と「金融市場」、「金融機関行動の相互連関」なども意識して、「金融システム」を全体として捉えてリスクの所在を分析評価する「マクロプルーデンス」の視点も踏まえた対応が重要になります。こうした「マクロプルーデンス政策」の重要性は、日本の金融危機から約10 年を経たのち、世界を震撼させることになった「グローバル金融危機」の中で国際的にも広く認識されるようになりました。(出典:中曽日銀副総裁)