ストックマーケットレポート・サンプル 2019.5.10号

* サンプルとして、冒頭の約1ページ分を掲載しております。

1:ファンダメンタル

「5月1日」に、「平成」から「令和」への「改元」、また、そのことに伴う「10連休」が実施されましたので、今回は、この機会を利用して、「自然科学」と「社会科学」の「違い」や「歴史的な関係性」について、より詳しく説明させていただきます。つまり、「西暦1600年」から「現在」までの状況を吟味しますと、実際には、私自身の理解を超える「大変化」が発生していた可能性もありますので、今回は、この点について、「赤丸」で囲んだ時代にまで遡り、根本から考えてみたいと思います。

文明法則史学と人類の二重らせん構造

具体的には、「紀元前400年前後」から始まった「ギリシャ・ローマ文明」にまで遡り、「社会科学の根本」を考えることですが、私自身は、今まで、「経済学」や「マネー理論」を中心にして「社会科学」を考えていました。しかし、今回、気付かされたことは、「哲学」が「社会科学の基本」であり、実際には、「ソクラテスの弁明」という著書で書かれているように、「無知の知」という概念から、「西洋哲学」が始まっているようにも感じられたわけです。しかも、この前提となったのが、次の「デルフォイ、あるいは、デルポイの神託」とも思われるわけです。

デルフォイはギリシャ最古の神託所である。デルフォイの神託はギリシャ神話の中にも登場し、人々の運命を左右する役割を演じる。デルフォイの神託が登場する神話には、オイディプス伝説がある。神殿入口には、神託を聞きに来た者に対する3つの格言が刻まれていたとされる。「汝自身を知れ」、「過剰の中の無」(過ぎたるは及ばざるがごとし、多くを求めるな)、そして、「誓約と破滅は紙一重」(無理な誓いはするな)(出典:ウィキペディア)

つまり、「ソクラテスより賢い者は存在しない」という「デルフォイの神託」を受けた「ソクラテス」は、「この神託が信じられなかったために、数多くの知者たちと問答をした」というものです。そして、結果として得られた答えは、「自分は知者ではないが、賢いとされる他の人々は、真の知を持っておらず、知者ではないことが理解できた。そのために、このことを知っている自分は、その分だけ賢い」という、いわゆる「無知の知」でもあったようです。