ストックマーケットレポート・サンプル 2019.5.20号
* サンプルとして、冒頭の約1ページ分を掲載しております。
1:ファンダメンタル
今回は、「新天皇」が即位されましたので、「明治維新以降の天皇制」について、哲学者である「梅原猛氏」の意見を参考にしながら考えてみたいと思います。つまり、「明治維新」をキッカケにして、「天皇の立場」が、大きく変化したものと考えていますが、特に、私自身は、「生まれ故郷に順徳上皇の御陵が存在し、幼い頃の遊び場だった」という思い出がありますので、「承久の乱(西暦1221年)」や「天皇制の推移」について、「人並み以上の興味と関心を抱いている状況」でもあるわけです。
具体的には、「武士」と「天皇」が戦った「承久の変」をキッカケにして、その後、「武士の力」が強くなり、また、「天皇の権力」が弱くなった状況のことですが、この点に関して、きわめて大きな変化が発生したのが「1868年の明治維新」でもありました。つまり、「大日本帝国憲法」が発布され、ご存知のとおりに、「明治天皇」に対して、きわめて強大な権力が付与されたわけですが、この点につきましては、後で詳しく説明させていただきます。
また、今回は、「象徴天皇制」という言葉が、マスコミで頻繁に聞かれる状況でもありますので、より一層、「明治維新から昭和20年までの天皇制」と「その後の天皇制」の違いに関して、気に掛かる状況でもあるわけです。つまり、この点を詳しく分析することにより、より大きな問題点が見えてくるものと考えていますが、この点に関して、決して、忘れてはいけないことが、「第二次世界大戦をキッカケにして、人々の心理状態が、どのように変化したのか?」ということだと考えています。
戦中派の大部分の人と同じく、私は日本について、大きな憎悪と愛着を持っている。かつて我々に死を命じた日本は、我らにとって、決して愛すべきものではなかった。たとえ、われらがわれらの国を愛したとしてもわれらは、その愛をおのれの死の代償としてかち得なければならなかった。こういう日本への憎悪が、戦後のわれらのインターナショナリズムの、かくれた大きな原因ではなかったであろうか。ひとたび、悪いオヤジにいじめられた子供は、もはや二度とオヤジのことは考えたくなく、彼は、ひそかに精神的な家出を試みるのである。しかし、家出息子はやがて、おのれの家に帰らねばならないときがくる。この家を離れて彼の生存はどこにもないのである。私もまた一人の家出息子であった。この家をよくすることを考えずには、世界をよくすることをできないことを私は知ったのである。(出典:梅原猛著「哲学する心」)
具体的には、上記の「梅原氏のコメント」のとおりに、「明治維新」から始まった「日本の軍国主義」に関する「国民の意識」が、その後、「日清、日露の戦争」、あるいは、「第一次世界大戦」の勝利により、「第二次世界大戦時に、バブル的な状態にまで膨れ上がった可能性」のことになります。つまり、「天皇陛下のためには、自分の命も犠牲にすべきである」というような「認識」が、「当時の人々」にとっては「当然の常識」だったようですが、その後、「第二次世界大戦の敗戦」により、「軍国主義」から「民主主義」への「大転換」が発生したことも理解できるわけです。